私たちがバンガードインターナショナルフーズのスタッフです

バンガードインターナショナルフーズは、社員29人の日本のアットホームな会社です。ペットフードの会社ですから、ペットを飼っている社員も飼っていない社員も、動物が幸せに生きる権利を尊重しているのは当然のこと、ペットとの同伴出勤も許されています。こちらのコーナーでは、そんなスタッフそれぞれの社業への思いや、ペット・動物との関わりをご紹介します。

#1 寺嶋秀司 代表取締役社長

バンガードインターナショナルフーズの現社長は、5年前に就任した寺嶋秀司氏です。モットーは「誠意あるものづくり」。長年親会社の電子機械器具メーカー『朋栄(FOR-A)』で、海外事業畑を中心に歩んできました。「ペットの専門的な知識がないのが強み」と、スタッフ全員から意見を吸い上げるトップダウンとは逆のスタイルで、社内の活性化を図っています。そんな寺嶋社長に、若かりし日の青年海外協力隊での経験、会社への思い、経営方針などを聞きました。(聞き手・内村コースケ=フォトジャーナリスト)

― ペットフードとは直接関わりのない親会社に長年いらしたと聞いています。プライベートでのペットとの関わりは?

寺嶋社長 今住んでいる家が賃貸で、ペットを飼えないんです。会社は昔から犬猫同伴勤務を許していますので、会社に来ればみんなのワンちゃん猫ちゃんに会えます。子供の頃は、実家で犬を飼っていましたよ。昔風の外飼いの雑種でしたけれども。

― ご出身はどちらですか?

寺嶋社長 福岡県の津屋崎町(現在は福津市)という田舎町です。女房は同じ福岡県の、動物好きの方には「猫の島」として知られる相島(あいのしま)がある新宮町の出身です。

― 現在61歳。子供の頃はどんな生活でしたか?

寺嶋社長 小1の時に東京オリンピック(1964年)がありましたから、昭和40年代の思い出になりますね。実家から海まで200mくらい。海水パンツでそのままピューッと海に泳ぎに行っていました。実家では庭先の犬小屋で犬を飼っていましたが、ペットを取り巻く環境は今とは全然違っていて、裕福な家庭でも部屋の中で犬を飼っているという人はいませんでしたね。漁港も近くにあり、野良猫はどこにでもいました。

― 大学卒業後、青年海外協力隊に参加したのですよね。もともと海外に興味があったのですか?

寺嶋社長 親父が戦時中満州にいて、シベリアに抑留された後に帰国した組だったんです。本人はそのことを何も語りませんでしたけど、親戚や人づてに満州時代の話や戦後の苦労話を聞いていたので、その影響はあったかもしれません。

― 青年海外協力隊に応募した経緯は?

寺嶋社長 仕事をしたくなかったのでしょうね(笑)。大学生だったのですが、「タダで海外に行ってみたい」という気持ちはありました。経済学部なので、周りはどんどんOB訪問をして、銀行や証券会社に就職を決めていくわけです。そんな中で、8月の終わりくらいかな。OBからの誘いが一番多い時期でしたが、「自分はどうしようかな」と思いながら校内を歩いていると、ふっとポスターが目についたのです。

― それが青年海外協力隊の募集ポスターだったのですね。

寺嶋社長 青年海外協力隊?なんじゃそりゃ?と。「これは面白いかもしれない。タダで行けるみたいだし」と思ったわけですが、何か海外で役に立つ専門性を持っていないと応募できないわけです。すると、「スポーツ隊員」というのが目についた。私は子供の頃から柔道をやっていて、当時は三段でした。幸い、柔道を教える隊員の条件をクリアしていたので、応募しました。

― 周囲の反応は?

寺嶋社長 私の大学ではおそらく初めてだったんじゃないかな。周りから「えっ?お前大丈夫か?」って言われました(笑)。両親は反対しませんでしたよ。子供の進路には一切口を出さない。昔気質でしたから。

青年海外協力隊時代、フィリピンの道場で柔道を習いにきていた地元の人たちと(前列中央)

― 行き先はフィリピン。

寺嶋社長 南部のミンダナオ島にあるダバオに2年半くらい赴任しました。勤務したのは、キリスト教系の学校の付設のスポーツセンターです。昼間は学校の体育授業として高校生・大学生、夜は子供から大人まであらゆる層の一般の人たちに教えました。女性と組むのも初めての体験で、最初は戸惑いました(笑)。

― 当時のフィリピンの地方都市の様子は?

寺嶋社長 まだ解放戦線と呼ばれていたイスラム系の過激派もいて、治安は良くはなかったです。銃を突きつけられたこともありました。言葉は、公用語に近いタガログ語ではなく、ビサヤ語でした。キーワードだけ覚えてなんとか会話していました。英語も公用語ですので、柔道は英語で教えました。貧しい人たちが多かったけれど、クリスマスや日曜日には皆、おめかしして教会に行くんですね。そういう姿は羨ましいと思いました。一方で、車に乗っていて信号で止まるとタバコや花飾りなんかを売りに来たり、窓を拭いて「お金ちょうだい」という子供たちが大勢いました。